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札幌高等裁判所 昭和53年(ツ)5号 判決

上告人 岩崎宅次郎

〈ほか二名〉

右三名訴訟代理人弁護士 荒谷一衛

被上告人 石田カツエ

右訴訟代理人弁護士 横路民雄

同 村岡啓一

主文

原判決中上告人ら敗訴の部分を破棄する。

右部分につき本件を札幌地方裁判所に差し戻す。

理由

上告理由第一点、第二点について

一  原審は、訴外竹内タメ(以下、竹内という。)及びその承継人である被上告人は、昭和一七年五月から同三七年五月まで、樺戸郡月形町字緑町一五六番四、宅地九・二四平方メートルのうち原判決別紙図面(一)記載のP、イ、ロ、ニ、Pの各点を順次結んでできる四角形の土地及び同所一五六番二、宅地三九六・六九平方メートルのうち同図面記載のR、ニ、ロ、ハ、Rの各点を順次結んでできる四角形の土地(以下、両土地をあわせて本件係争部分という。)を耕作してこれを占有していたとの事実を認定したうえ、被上告人は本件係争部分の所有権を時効によって取得したと判断した。

なお、原審は、民法一六二条一項の二〇年間の占有による取得時効のほかに、同条二項の一〇年間の占有による取得時効の完成をも選択的に認定、判断しているものと解されるが、占有者である竹内がその占有の始め本件係争部分が自己の所有に属すると信ずるにつき無過失であったことについては何ら認定していないから、二〇年間の占有による取得時効が完成したとする原審の認定、判断が正当として是認されない限り、原判決の結論を維持することはできないことになる。

二  原判決の右占有の点に関する認定、判断の要旨は次のとおりである。

1  昭和五一年一〇月二七日(原審裁判所が本件係争部分付近の検証をした日)の時点で、本件係争部分に接してその東側にバラスが散布されていた。

2  昭和四〇年以前の時点で、上告人岩崎宅次郎(以下、上告人岩崎という。)は本件係争部分の西側に所在する被上告人所有建物の東側外壁ぎりぎりまでは耕作しておらず、右建物の東側外壁から二尺ぐらい離れて耕作していた。

(なお原判決は、上告人岩崎は被上告人所有「建物」から二尺ぐらい離れて耕作していたとの事実を認定しているにとどまり、二尺ぐらいというのが建物のどの部分からの距離であるのか必ずしも明らかではない。原判決が理由二、(二)、2で、上告人岩崎が耕作していた範囲は被上告人所有建物の「東側外壁」からは若干の距離があったと認定しているところからすると、右の二尺の起点はおそらく被上告人所有建物の東側外壁であろうと思われる。)

3  右1、2の事実に「前記認定の諸事実および控訴人本人尋問の結果とを総合して判断すると」(原判決理由二、(二)、4)、昭和四〇年以前における被上告人の耕作範囲の東側の端は、少なくとも原判決別紙図面(一)記載のイ、ロ、ハの各点を順次結ぶ線(すなわち本件係争部分の東側の線)までであったと認めることができる。

(ところで、ここにいう「前記認定の諸事実」とは、原判決が理由二、(二)、2で認定する次の事実をさすものと解される。すなわち、(一) 右バラスの散布は、昭和四一年上告人岩崎の手によって行われたものであり、その目的は通路の舗装であって、その範囲は上告人岩崎の耕作、占有していた範囲に限られていたこと、(二) 被上告人所有建物は昭和四〇年に道々の拡張工事に伴って南側に移築されたが、その際、右建物の東側外壁の位置が東側に寄った事実はないこと、である。

しかし、原審が被上告人(控訴人)本人尋問の結果によってどのような認定、判断をしたのか必ずしも明らかではない。第一審(第一、二回)及び原審における本人尋問において、被上告人は、昭和一七年から現在まで竹内及び被上告人の占有範囲には変化がなく、本件係争部分はこの占有範囲に含まれていると供述しているが、原審はこの供述だけから直ちに右供述に沿う事実を認定しているわけではないから、原審としては、右供述だけでは直ちにその採否を決し難いが、右供述は前記1、2の事実及び原判決のいう「前記認定の諸事実」によって裏づけられるから措信し得るものであると判断し、結局、「この二つの事実(右1、2の事実)に前記認定の諸事実および控訴人本人尋問の結果とを総合して判断すると」、昭和四〇年以前の被上告人の耕作範囲は少なくとも本件係争部分の東側の線までであったと認めることができるとした趣旨であると解される。)

4  被上告人と上告人岩崎は長年隣合って耕作していたが、昭和一七年から同四〇年までの間、その境界線の確定や占有し得る土地の範囲をめぐって紛争が生じたことはなかった。この事実は、昭和一七年から同四〇年までの間、両者の占有していた土地の範囲に変更がないことを意味する。

5  したがって、昭和一七年五月から同三七年五月までの間も、竹内及び被上告人は本件係争部分の東側の線まで耕作をしていたと認めることができる。

三  そうしてみると原審は、昭和四一年上告人岩崎によってバラスが散布された後、原審裁判所の検証時である昭和五一年一〇月までの間に、右のバラスの散布された範囲に異動がなかったとの事実あるいはバラスの散布はその範囲が全く移動しないような態様、方法で行われたとの事実を何ら認定することなく、昭和五一年一〇月時点のバラスの存在範囲が昭和四一年のバラスの散布範囲すなわち当時の上告人岩崎の占有範囲と一致すると推認しているわけである。しかし、移動の困難な建物、石標等と異なり、地表に散布されたバラスは、通常は人為的に容易にこれを除去、移動させることができるし、また自然に散逸、移動することもあり得るから、バラスの散布範囲が一〇年間全く変化しなかったと推認することは、特段の事情がないかぎり、経験則に照らし相当ではないといわなければならない。

原判決は、昭和四一年以後、上告人岩崎と被上告人との間で両者の所有土地の境界や占有し得る土地の範囲をめぐって紛争が生じ、境界確定訴訟が提起されるに至ったとの事実を認定しているのであって(理由二、(一)、4)、かえってこの事実は、昭和四一年以後、上告人岩崎と被上告人の土地の占有範囲に変動があったのではなかろうかとの疑念を生じさせるに足るものである。

四  また原審は、上告人岩崎は自己の占有する範囲にバラスを散布したものであるから、その西側のバラスの散布されていない部分(本件係争部分はこれに含まれる。)は被上告人が占有していたものであると推認し、上告人岩崎は被上告人所有建物の東側外壁から二尺ぐらい難れて耕作していたとの事実から、その耕作部分の西側の上告人岩崎の耕作していない部分(原判決は、本件係争部分はこれに含まれるとする趣旨のようである。)は竹内及び被上告人が耕作していたと推認している。

なるほど、原判決の確定するところによれば(原判決理由二、(一)、3、4)、昭和一七年から同三七年までの間、本件係争部分を中心として、その東側は数年間を除いて上告人岩崎が、またその西側は竹内及び被上告人がみずからまたは第三者に賃貸して、いずれも畑として耕作し、あるいはその一部に建物を築造して、占有、利用していたものであり、両者の占有する土地は隣接していたものである。

したがって、本件係争部分を上告人岩崎が占有していなかったとすれば、竹内ないし被上告人がこれを占有していたであろうとの推認が一応可能である。

しかし、取得時効の要件として、一定範囲の土地の占有を継続したというためには、その部分につき、客観的に明確な程度に排他的な支配状態を続けなければならないのであるが(最高裁昭和四一年(オ)第三六四号同四六年三月三〇日第三小法廷判決・裁判集民事一〇二号三七一頁参照)、上告人岩崎が本件係争部分を占有していなかったからといって、直ちにこの部分を竹内ないし被上告人が右のような態様において占有していたとはいえない。畑として耕作する、あるいは所有建物の敷地の一部とする等の形態以外の方法で、占有とはいえないまでもなお上告人岩崎だけが利用していた可能性もあろうし、上告人岩崎と竹内ないし被上告人の双方が利用していたが、その双方とも排他的な支配をしていなかったこともあり得よう。更に、双方とも継続的な利用はせず、ほとんど放置していたということもあり得ないことではない。したがって、直ちに原審のような推認をすることは早計であるといわねばならない。

(なお原審は、本件係争部分は竹内及び被上告人が昭和一七年五月から同三七年五月まで耕作していたものと認定しているが、他方において原審は、昭和二五年には本件係争部分の西側に被上告人が建物を築造し、その後昭和三〇年ごろ上告人岩崎が本件係争部分の東側に建物を移築し、これら建物が築造された後には、畑として利用されていたのは建物敷地を除く残りの部分だけとなったことを認定している(理由二、(一)、3)。すなわち、原審の竹内及び被上告人の本件係争部分に対する占有の態様についての認定、判断は、昭和一七年五月から同三七年五月まで終始畑として利用されていたというのか、あるいはある時期からその一部は建物敷地として利用されるに至ったというのか、明確ではない。)

五  原審は、上告人岩崎は被上告人所有建物の東側外壁から二尺ぐらい離れて耕作していたとの事実を認定し、この幅約二尺の部分は被上告人が占有していたものと推認しているが、被上告人所有建物の東側外壁と本件係争部分との位置関係を確定していない。そのために、被上告人所有建物の東側外壁から約二尺離れた線というのが、どの辺に位置することになるのか、原判決の理由によっては明らかではなく、結局右の事実は、このままでは、上告人岩崎の耕作範囲、ひいては竹内及び被上告人の占有範囲を認定する根拠にはなり得ないことになる。

六  結局原審の認定した事実だけから、直ちに本件係争部分を昭和一七年五月から同三七年五月まで竹内及び被上告人が占有していたとすることは、経験則に違背するものであって首肯し難く、ひいてはこの点に関し原判決の説示するところには理由不備の違法があるといわなければならない。

論旨は理由があるから、原判決中上告人ら敗訴の部分を破棄し、更に審理を尽くさせるため、右部分につき本件を原審に差し戻すのを相当とする。

そこで、民事訴訟法四〇七条一項に従い、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石澤健 裁判官 矢崎秀一 永吉盛雄)

〈以下省略〉

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